ギリギリセーフな安定と理解

健康な側面 言葉を残したい若い若い

桜花再凛-オンライン オーラス- ありがとう、今日も浦島坂田船で居てくれて。

1年間春を思っていた。

もう一度同じ花の中で幸せになりたくて、ずっとずっと待っていた。

季節が変わっても、春に取り残されていた。

だけど、また待っていたものよりも楽しくて美しい春をくれた。

 

浦島坂田船2021春ツアー 桜花再凛 のオーラスはオンラインだった。

浦島坂田船のオンラインライブはタイトルで数えると2度目・公演数だと3度目。

(その時の感想は下記にて)

家でライブを見れているなんて、結局超幸せだったな 2020年---浦島坂田船の話 - ギリギリセーフな安定と理解

 

前回のオンラインライブはコロナで奪われたライブという時間が戻ってきた感動が大きかったけれど、

3・4月中に有観客でライブをしていて、私も見に行ったので

今回はライブという時間への感謝もあるけれど、それよりも内容に感動していた。

 

本当に楽しい。私、家で一人で見ているのにこんなに楽しい。

え〜!とか好きじゃん!とか一人で声に出してしまうくらいには楽しい。

どうしてなんだろう。彼らが大好きという気持ちもあるけれど。

それではないどこからか来るこの、エンタメへの純粋な楽しさ。

 

今回のライブセトリがそれはそれは良くて、

こんなにもファンの需要を汲み取ってセトリを組むことが可能なのかと驚いていた。

いろんなライブを見たことがあるけれど、

他だと、どこか「あ、そこそれなんだ。まあそうだよね」みたいな感情になる経験があった。

今年はこれ歌わないよね、とかそういう気持ち

それが1ミリもなかった。今気づいたけど。書きながら整理してる。

後半からはセトリが需要のど真ん中すぎてずっと口が開いていた。

他のファンもそうなんだろうか。

 

もしかしたら浦島坂田船のメンバーは、私たちが思っているよりも私たちの気持ちを知っているんじゃないかな。

 

きっと受け取る側の私たちの楽しいポイントと、

提供する側のメンバーの楽しいポイントって

とても近いところにあるんじゃないかな。

 

それってすごく魅力的。

だって受け取る側も提供する側も楽しいということ。エンタメ産業、幸せ産業。

 

大体、何事にも制作するためにお金が必要。

浦島坂田船が楽しいことを届けて、

受け取る私たちがお金を払って楽しいと感じてまた受け取ろうと思ってお金を払う。

そこからまた楽しいことがメンバーから提供されていく。

 

なんて濁りのない産業なんだろう。

どこにも背徳感がない、どこにも後悔がない。

 

彼らが丹精込めて育てた花を見て、私たちは美しいと喜べるんだ。

 

このどこにもマイナスがない産業とコンテンツ、珍しいと思う。

だから私は本当に最高のコンテンツに出会ってしまったなって。

 

初めて浦島坂田船のライブに行ったときに、

帰り道に「これは楽しいコンテンツに出会ってしまったな」って何かのsnsに投稿したことを今でも覚えている。

今もずっと同じ気持ちでいる。

 

毎回楽しさを塗り替えてくるから、毎回これからの浦島坂田船を楽しみに思う、期待の気持ちが塗り替えられていく。

飽きることがない理由はこれだと思う。

 

数年前に好きだったブロガーさんの言葉で(もう閉鎖してしまった)

「「永遠の新規」になる、よろこび。」

という言葉があった。

 

浦島坂田船は私を永遠の新規にしてくれる。

ずっとずっと飽きないで居させてくれる。

明日の浦島坂田船を楽しみだとずっと思って生きていけるんだ。

 

そういうライブだった。

そういうグループなんだ、浦島坂田船は。

 

ありがとう、今日も浦島坂田船で居てくれて。

 

前日 3:00になってしまう

 

心も体も形がある 見えないフチが浅く金色に光って湿って輝いている

 

健やかにしなやかに生きていたいずっと老いることなく新鮮な自分だけがそこにいてほしい

美しくないと生きている意味がない

自分が信じた美しさを自分が表現しないと生きていけない

 

エアコンだけが新しいこの部屋を愛着一言で片付けて動けないままでいる 中毒みたいな物事も綺麗なまま自分だけが錆びていく

 

 

私が忘れてしまうから できるだけ鮮明な状態の今を大切にしまっておく

 

なんがそんなに悲しいんだろうねって

絶望を知らない姿が綺麗

 

このぎんいろも、惜しいから

たくさん見ておこう 旋回するぎんいろ

カラカラカタカタ

球体になるまで 見ておこう

にぶい ひかり

 

珍しいことじゃないって、わかってるよ

そのときは大切なプリクラも、今はどこにあるかわからないんだし

そんなふうに、どこに置いてきたか忘れてしまう日が来るんだよ

変わるってそういうことだよ

 

大切は、

今抱えている数よりも

忘れてしまった数の方が多いんだよ

 

でも長く生きるって、そういうことだよ

 

意味のない、ことがきらい

意味のないことに意味をつけたい

 

だけど今は大切で、綺麗で忘れられない情景も

いつか残酷に忘れてしまうんだね

 

こんなにこんなに鮮明なのに

顔に触れる空気の温度や湿度まで

もういらないくらい鮮やかなのに

 

鮮やかだけど忘れるのだ

 

色も香りも温度も無くなって

形だった細い縁も折れて砕けて粉になる

 

音の振動に乗せて移動して

戻れない過去は消える

戻れない過去の中に消えていく

 

ああ変わって

変わって変わって

想像からは外れた人生をたくさんおくって

いつか何十年分の人生のお話をどこかで聞かせて欲しい

 

わたしが忘れませんように

わたしが誰のことも忘れませんように

 

 

 

家でライブを見れているなんて、結局超幸せだったな 2020年---浦島坂田船の話

推しコンテンツについて思ったことを残したい年末。

主に先日の浦島坂田船オンラインライブについてなど。 

 

12/26
12/27
浦島坂田船オンラインライブ

 

2020年最後の土日にオンラインでのライブが開催されて、それをみた。

 浦島坂田船のライブを映像で見ることが今まで一度もなかったから、最初はあれ、今なんで映像でみれてるんだっけ?

 と超公式配信なのにズルをしている気分になった。

(ライブDVDも出たことがなく、映像など残るメディアには顔を出さないグループだから余計)

二日間開催されて、1日目はアルバム購入特典(比べるものじゃないけど特典の存在デカすぎるな)で、

二日目は3000円くらいだった(金額全然違ったらごめんなさい)

 

ちなみにこれめっちゃ安いと思う。歌い手界隈って比較的安価だよなあと思う・・・お金があればできること広がるなら値上げしてもいいんだよう・・

 

めっちゃ素人目だけど、

歌もダンスも上達してなかった・・・・????

本当に「え?知らない間にツアー回ってて今回オーラスだった?」ってくらいもう

動きに迷いがない!!!!!!(浦島坂田船はアイドルになる想定で10代からレッスンを〜とかではないのでJのようなクオリティを求めるものとはまた違う)

 

1曲目から何の心配もなく、

もうこのライブ絶対成功するし浦島坂田船、強くなって美しくなって約一年ぶりにライブする、その一曲目が始まった期待しかない未来の幕が開けたじゃん・・・

 

今回の配信ライブで初めて浦島坂田船のライブを見た人も多かったらしい。

普段ライブまでなかなか行けないから今回見れた!的な声が多かった気がする。

やっぱりグループの魅力やグループが伝えたいことってライブで1番伝わると思っていて。

配信ライブというやり方がこれからノーマルになっていくなら、浦島坂田船をもっと知りたいけど知らない人たちにライブを届けられるから最高かも知らない。

これから現地でライブして、配信もできたらもっとみんなで楽しめて最高だ。

 

浦島坂田船は今までライブDVDが出たことがなかった。だからライブを見たかったら行くしかない。(人によってはハードル高め)

配信ライブだとあとにも残らず、

(アーカイブは次の日の夜まで見れるよ)

行けない人もリアルタイムで楽しめる。

 

今回リアル現場はなかったから寂しくなることもあったけれど、人によっては超感謝しているんじゃないかと思う。

 

総じてこの一年、寂しく感じることも多かったけど

最終的に浦島坂田船にたくさん感謝する一年になったなと配信ライブを見ながら考えた。

 

--------------------------------------------------

--------------------------------------------------

センラくんは魅力の脈を掘り当てる

センラくんってすごく「美しい変化」をしていく人だと思っていて。

とにかくセンラくんは「時間を無駄にしない人」過ぎていく時間の数だけ進化していく人だと思ってる。

そんなセンラくんのパフォーマンスを約一年ぶりに見たらそれはもう

大改修アプデだよね。

え?こんなに声出るっけ?

えこんなに歌とダンス両立できるっけ?

ずっと驚かされる約2時間×2日だった。

センラくんの変化を少しも見逃したく無くて、

自分の感動と観察の切りかえスピード VS センラくんの成長引き出しを出してくるスピード

だった。ちなみにめっちゃ負けたのでアーカイブを擦りまくった(いちいち感動オタクは100負け)

 


大変気持ち悪いことを言うけれど、私はセンラくんにいつだって負けていたい。

毎回期待を大きく上回ってくるし

毎回良い意味で予想外を起こしてくれる

最推しでいても、センラくんの魅力の水底がずっと見えない。

 


毎日現状の最高を探しにファンたちが泳ぎ進めても、

センラくんは水底を毎日掘り進めて新しい「魅力の脈」を当てていくのだ。

 

--------------------------------------------------

--------------------------------------------------

 


今年は美しく変化していくセンラくんに、浦島坂田船に、頑張っているエンターテイメントグループに

私たちファンは何を返せていたんだろう。ずっと考えていた。

 
好きなグループは長く続いて欲しい。

そのためにはお金が必要だと思う。ファンが与えられたエンターテイメントに対してお金を払うことで、次のライブやCDも生まれる。

自分たちの存在意義を、グループのためにできることは結局お金を払うことだと信じていた。

 


だけど、この2020年を振り返ると

今年はアイドルなど「ファン」を必要とする人たちにとってライブなど活動ができなくても

「今もこれからも応援している」「大好き」「ありがとう」が響いた一年になったのではないかと思う。

 


私はアイドルじゃないから想像でしかないけれど、グループ側も、私たちが悩んだり寂しくなったりするのと同じくらい

不安だったんじゃないだろうか

 


そんな時に私たちが不意に呟く「今日も大好きだな」がどのくらい役に立ったんだろう。

続けていくためには、私たちの声援も生きていくのではないかと心から思った。綺麗事ではなく、率直に。

 


いつだって、センラくんに「ファンがいるから何が起きても絶対大丈夫」と言い続けたい。

今年センラくんは、ファンがいるから大丈夫だと思えただろうか。

いつだって、存在に安心できるようなファンでいたい。私もみんなも。

 


浦島坂田船は、本人たちがやりたいことをやり続けていて欲しい。

ずっとずっと、結果的に楽しんでいて欲しい。

今回の配信ライブみたいに笑顔で楽しく活動して欲しい。

何かに迷っても、自分たち主体で考えて判断して欲しい。

私たちは変化に戸惑ってもきっと受け入れられるし、何よりも

この4人が出会って浦島坂田船として活動しているこの大切な運命を少しも無駄にせずやり切り続けて欲しい

 


グループが自分たちのやりたいことをやり続けていけるのは、計り知れない努力と美しい運命でできている。

 

--------------------------------------------------

--------------------------------------------------


ていうかそもそも浦島坂田船って何?な人は検索してください。

 

浦島坂田船検索先>浦島坂田船 - Google 検索

浦島坂田船YouTube検索先>浦島坂田船 - YouTube

 

でも正直「浦島坂田船」って検索してもまじ何者かわからないと思う 

いまだに私も「浦島坂田船って何?」と聞かれたら、いまだに答えに迷ってしまう。

・アイドル

・ボーカルグループ

・歌い手ユニット(この場合歌い手の説明も必要)

・楽しいことをやっているお兄さんグループ

のどれかで迷う。(これ以外にも候補が出てくる時もある)

 


でも最近は、浦島坂田船を説明するための言葉が無くてもいいなと思っている。

(結局説明してもこっちが想像しているよりも伝わっていない気がしている・・・)

 


浦島坂田船の面白いところは、自分で調べてsnsで呟きを見たり動画を見たりしないと

「ああこういうグループね」とならないところだと思う。

自分で調べていくと歌い手界隈のこともどんどんわかってくる。あとオタクのこともわかってくる。

自分が弱いという、思い上がり 

 人間が人間を消費して

人間が人間に消費されている。

 

ずっと自分は消費される側だと思っていた。

誰かによって何かになり、剥奪されたりしてそれら全てを受け入れるだけのだと思っていた。

だけど自分も消費している側面があることになんとなく気がついた。

私の場合の多くはエンタメで

対象である人を消費して、消費され、また消費している。

 

だけどたまに、何事においても人を「消費する」側にしか立たない人がいる。

 

人を掌に乗せて、そこから出ていかないように育てることができる人がいる(無意識でも、意図的でも)

凶暴

怖いと思う。

 

だけど少し、うらやましい

 

私もそちら側だったら、どんなに強いだろう。

逃れられないダメージを受けずに生きられるんだろう。

 

 

強い/弱いの話。

 

何かマイナス・悪・罪を否定しきれない出来事が起きたときに

自分は無条件に傷つくものだと思っていた。

 

傷が大きくても、気がつかないくらい小さくても、絶対に悲しくなるものだと思い込んでいた。

自分が「何も感じないほど強い可能性」に目をむけたことがなかった。

 

「自分の心が弱い」という思い上がり。

 

だと思う。

 

病む とか メンヘラが流行りすぎて、若い自分はそれが些細でも悲しみに分類されるものに対して「負ける」ことが普通だと思っていた。

元気に強く健やかな状態で生きることなんてありえない

何かに対してマイナスな思慮を味わって自分の存在に絶望しないと生きるじゃない

 

ふと、同じ種類の絶望を

自分で嗅ぎつけて捉えて味わっている

気が済むまで、絶望したがっている。

 

だけど同じ種類の「悲しい」とか「絶望」だから

自分の感想が変わらない ことに 飽きた。

 

飽きるよな

同じ庭で同じ花を積み続ける毎日には飽きてしまうよな

 

だから同じ花を摘んで、枯れても捨てられずにいることまでの楽しみを

捨てることにする。

 

味わったことのない花の味に出会う可能性が、この先あるだろうから

 

それは誰にでも平等に与らえている未来だから(その花に気づくか、詰むかは別として)

そのときにアップデートされますように、自分の「強さ」を認めて

 

 

長年愛してきた「弱さ」をやめることにする。

 

 

自分が強いと思うことが思い上がりではなく、自分が弱いと思うことが思い上がりになったのだ。

もっともっと、逃げられない、誤魔化せなくなる弱さが待っているはずだから

 

居座り続けた庭から出ていく

次の誰かがきたときに、満開であるように 楽しめるように

 

誰かが出て行った庭に移住する

 

いつか消費する人の庭に行きたい。

 

嬉しいや楽しいに気がつけない分、転がり蔓延っている悲しみや不幸に敏感である日々をモノしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしだけ朝が来てる みんな、まだ寝てる 

 

 

短くて細かい後悔を飼い慣らして生きていく

 

人が泣きそうになる瞬間を、この1ヶ月で何度も見た

小さな無自覚のふり、ただの知らないふりをやめられない人間がこの世にたくさんいるせいだ。

そりゃ、きっと誰もがそうなんだけど

直接的に相手を傷つけていても尚やめられないなんて、どうしてなんだろう

 

朝起きたら治っても

昨晩ねむれなかったことは消えない

 

そこまでの影響まで、知らないふりを続けるひとばかりなんだろうか

それでいて、笑っているんだろうか

気持ち悪い、笑顔も涙も

なんのつもりであたしに声をかけているんだ

 

ね、それどういうつもりで言ってんの?

 

激しく、前髪を掴んで投げ飛ばしたくなる

優しく、屈んで頭を撫でたくなる

わたしだってみんなだって永遠の子供で

永遠に柔らかい肌のまま

浅くても残る傷を知らずにおおきくなる

 

そうすれば

人の涙を拭えなくなる

自身の涙にも気がつかないのに

 

そうすれば

人の顔が見えなくなる

自身の顔も見ていないのに

 

いつかきっと、朝を嫌がるようになる

朝は来るのに、自分の意識が帰ってこない、永遠の深夜が来てしまう前に お部屋に鏡を買わないといけないよ

 

 

かわいそう は、便利すぎて使えない

 

だけどあんたはかわいそう

何も自覚せずに、最後は死んじゃうなんて

 

わたしたちがかわいそう

反論できずに明日の朝も起きるなんて